アラフォー夫婦の出産記②~陣痛進まず帝王切開へ 深夜の手術室前で思い出すあの日のこと

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こんにちは。ちゃはちです。

前回想定外の破水から入院。陣痛促進剤の使用を開始したところまで書きましたので、その続きになります。

前回の記事はこちらです↓

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促進剤が効き始めるも夫痛恨のミス

入院2日目。促進剤による陣痛の誘導が始まりました。僕は面会時間の午後1時になるまで近くのショッピングモールにて待機。何か動きがあって呼ばれてもすぐに駆けつけられるようにしていました。

その間も妻から状況報告のメールが入ります。少しずつお腹の張りが出て痛みを定期的に感じるようになってきたようです。それでもまだまだ陣痛と言えるレベルではなく、時間がかかるのではないかとのことでした。

午後1時になり僕も病院へ。妻は分娩台の上でモニターを付けた状態でした。腕には促進剤と栄養剤の点滴が。痛みは来るもののこの時点ではまだ多少の余裕があるようです。

しかし時間が進むにつれ徐々に促進剤の効果が強まって来ました。子宮収縮のレベルも上がって痛がり方も激しくなってきます。僕は痛みが来る都度体をさすったり、腰を押したりしていましたがここで痛がりながら妻が一言。

「…きのう、、なに、、たべた…?」

「え?」

「にんにく、、く、くさい…」

「すみません…。餃子とレバニラ定食を、たべました」

はい。前日の夕食僕は〇高屋でレバニラ定食に餃子をつけて食べました。どうやらそのニンニク臭が翌日にスライド登板したようです…。

ということで僕はなるべく妻の顔に近づかないようにサポートをしなければならなくなりました。近づこうものなら、妻は僕の顔を「ジトーッ」とした目で見つめ、痛がりながらも抗議の意を表していました。みなさんも気をつけましょう。

子宮口は開かず翌日に持越しへ…

夕方になり促進剤を一本使い切ったところで産科医による診断が入りました。この結果、お産が進んでいるようならこのまま促進剤をおかわり。進んでいなければいったん使用を止め、また明日から再開することになります。

結果は…

子宮口の開きは「3センチ」まだ進んでいる状況ではありませんでした。

ということでまた明日へ持越し。促進剤はいったんやめることに。薬の効果が切れるまではしばらく痛みが残っていたようで、妻はその後も辛そうにしていました。

帰宅→深夜の呼び出し→再び病院へ

夜になりいったん僕は帰宅することに。妻には久しぶりのご飯がでましたが、痛みと疲労からかあまり進まない様子でした。

自宅に着いたのは夜9時過ぎ頃。僕も夕食をとり、帝王切開のことや胎児の心拍と陣痛の関係など調べていたらあっという間に深夜0時に。

「そろそろ寝るかな」と思った矢先、手元にずっと置いていた携帯が鳴りました。妻からです。

何があったかと僕はすぐに出ようとしましたが、間違えて着信拒否を押してしまう慌てぶり。折り返しかけても留守電にメッセージを残していたらしく話し中の状態です。

少し冷静にならねばと、間を置いて再び掛け直すと、「ごめん。今から来てもらわないといけない展開になっちゃった。ちょっと助産師さんにかわるね。」と妻。

「あの後赤ちゃんが少し苦しいサインを出していて、帝王切開に進んでもらうことになるかも知れません。今から来て頂けますか?」

「わかりました。すぐに行きます」

僕は明らかに慌てた口調で助産師さんに返事をし、速攻で着替えを済ませ病院へ車を走らせました。

病院に着くと、妻と助産師さんが陣痛室で待っていました 。程なく産科医さんも登場。

「赤ちゃんが苦しいサインを出している状況があれから何回かありました。すぐにもとに戻るので急を要するということではないですが、明日また促進剤でお産を待つよりも、今のうちに帝王切開で出産する方が結果的に奥さんにとっても、赤ちゃんにとってもいいのではないかと考えています。旦那さんは帝王切開をすることについて、どう思われますか?」

と、産科医さん。

「妻とこの子が一番無事でいられる方法ならそれがいいと思います。」

僕はそう答えました。

「では、今奥さんと2人で考えて頂いて、帝王切開の決断を頂けたらこのあとすぐに準備に入ります。もし、今すぐには難しいということなら、明日の朝まででもかまいませんが、その間にまた赤ちゃんの状況が厳しくなったらその時はこちらの判断で緊急で手術ということになります。よろしいでしょうか?」

産科医さんに問わました。

「どう?」

妻に聞くと、一瞬だけ悩んだ表情を見せましたがすぐに

「まぁしょうがないか…。帝王切開は望んでなかったけど。」

もっと悩むかなとも思いましたが、この時の妻の表情がわりと落ち着いた顔に見えたのが印象的でした。本人の心境は聞いていないので実際のところわかりませんが、先が見えない現状から、確実に状況が変わることへの期待感を僕も感じていました。もちろん、それよりも大きな心配も一緒に持っていましたが…。

帝王切開やります

ということで、帝王切開へと進むことになりすぐに準備が始まりました。

手術の方法や術後の流れに加え、考えられるリスクについても説明を受けます。現代では5人に1人が帝王切開で出産をするそうですから、特別な手術ではなく、そのリスクも滅多に起きるようなものでは無いでしょう。それでも実際に説明を聞くとやはり不安や恐れの気持ちも覚えます。

決断してから15〜20分位だったでしょうか、準備が整い妻はストレッチャーに横になり手術室に出発します。

手術は下半身のみ麻酔をかけて行われ、生まれたらまずお母さんとご対面。そのあと父親と一緒に赤ちゃんが手術室から産科に戻り、身長や体重などを測ることになります。

つまり生まれたらすぐに父親へ赤ちゃんをバトンタッチとなるので、なんか申し訳ない気もしたんですが、妻はもともと生まれてすぐ、僕に子供を抱っこさせたかったようでした。

手術室に入る前「生まれたら抱っこしてあげてね」と妻。立ち会い出産とはなりませんでしたが、そう言われると少しは僕も出産に関わることができるのかな、という気持ちになりました。

深夜の手術室前で思い出すあの日のこと

「ここで待ってるからね。頼んだよ。」

「うん」

そう手術室前で声をかけた後、妻を乗せたストレッチャーは手術室に入って行きました。僕は手術室前の長イスに座って手術が終わるのを待ちます。

僕のこれまでの人生で、家族の手術を待つのは今回で3回目です。

1回目はもう10年近く経ちますが、父親が胃がんになった時。ちなみにその時父は胃を3分の2切除しましたが、今も健在であります。

そして2回目は一昨年の夏、今回とは別の病院でしたが、同じ産科でした。

話はさらにその少し前にさかのぼります。40歳という年齢が見えてきた僕らは、それまでの「子供いなくても、ま、いいか」という考えが徐々に変化し「子供、挑戦してみようか」となっていました。

とは言え簡単に子供ができることはなく、難しさを感じてきたのでいわゆる「不妊外来」に通うようになりました。

不妊外来と言っても体外受精などの高度なものはせず、基本的には排卵日を正確に把握して確率を上げるタイミング法で頑張ってみました。

それでもすぐに上手くは行きませんでしたが、ある日妻から「検査薬の反応が出た…」と少し驚いた顔で報告がありました。

もちろん嬉しさもあったのですが、2人ともまだ信じられなかったのでとりあえず妻が診断に行くことに。

僕は仕事の都合で同行できませんでしたが、診断の結果妊娠していたことがはっきりしました。

しかし喜びもつかの間、出血が起こり「切迫流産」と診断されます。流産の一歩手前の状態です。

妻は仕事を休み安静にしていましたが、状況はあまり良くなりません。それでも検診に行ってエコーを見ると赤ちゃんの心臓が「ピコピコ」してたよ、と少し嬉しそうに話す妻。

なかなか検診に同行することが出来なかったので「見せてあげたいなぁ」と僕にしきりに話していました。

それでも状況は好転せず、僕自身はここで無意識に逃げの思考に陥っていました。この時は気づいていませんでしたが…。

「最悪の結果になってもなるべく傷つかないように、期待を持ちすぎないようにしよう」と、半分あきらめの気持ちを持つことで冷静でいようとしたのです。

そして、それは現実のものになってしまいました。僕は一度も子供の心臓が動いているのを見ることなく、初めての妊娠は流産となってしまいました。

僕自身ももちろん悲しかったですが、例えば妻と一緒に声を出して泣くようなことはしませんでした。悲しむ妻を落ち着いて慰めることが僕のするべきことだと思い込んでいたからです。

そしてお腹の中で亡くなった赤ちゃんを手術で取り出さなければならない日、僕は病室で妻が手術室から戻って来るのを待っていました。

手術は全身麻酔で行われたので、帰ってきた妻は眠っていました。看護師さんによってベッドに移された後、しばらく経って妻は少しずつ覚醒してきます。

意識が戻って来ると妻はしきりに痛がり始めました。「痛い…痛い‼︎」あまりに激しく痛がっているので僕は慌ててナースコールのボタンを押します。

「かなり痛がっているんですけど、大丈夫でしょうか⁉︎」

「今は子宮が収縮して戻ろうとしているので、少し辛いと思いますが、徐々に良くなります」

インターフォンでそう言われ、僕は「大丈夫だよ。今は痛いと思うけど良くなって来るからね。」と必死に妻の体をさすりながら声をかけ続けました。

もちろん痛みの理由はその通りだったのでしょう。でも、それと同時に悲しさやショックが麻酔の覚めかけた中でゴチャゴチャになって妻を襲っていたんじゃないかと思います。

数10分経って少しずつ妻は落ち着き始めました。日帰りの手術でしたので僕たちはその日の内に病院を後にしました。病院も、関わった人も、何だかやけに冷たく感じたのを覚えています。気持ちの持ちようだったのかもしれませんが。

その後も妻の心の傷はなかなか癒えませんでした。妻自身も同じ経験をしたお母さん達のお話会に参加したり、ちょっとスピリチュアリルな本を読んだり、少しずつ心の整理をしようと頑張っていました。

そんなある日の朝、寝起きで妻と話をしていた時にふとした流れで「あの時悲しくなかった?」と聞かれました。

「そりゃ悲しかったよ…」

僕が言うと

「じゃあもっと悲しんでくれれば良かったのに…」

と、妻。

その瞬間僕の目には涙が溢れました。妻がして欲しかったのは励ましや前向きな言葉ではなく、一緒に悲しむことだったのです。そして、「どうしてこうなったんだろう?」と考えると今まであえて目を背けてきた悲しさが一気に押し寄せてきました。

出産において流産は決して特別なことではありません。もちろん高齢になればなるほどそのリスクは高まってきますが、若かったとしても起こらないものではありません。その確率は妊娠全体の約15%と言われています。

そしてその原因の多くが胎児側に何らかの問題があるためだとも言われます。ですから親の力でどうにもならない部分がほとんどで、残念な結果になったことについて自分たちを責めても仕方のないことなのかと思います。

それでも、もしあの時、悲しむことを恐れずに正面からその現実に向き合い、強く「無事であってくれ」と願い、行動していたら…。

もしかしたら僕の態度を見て、お腹の子が去っていってしまったのだとしたら…。

僕はオカルトは基本的に信じません。でも、もしも、万が一にも、そういったことがあったのだとしたら、…。そう思うと自分が取ってきた行動への後悔の気持ちで、胸が押しつぶされそうになりました。

それから1年近くが経過し、妻のお腹に新たな命がやってきました。流産の後、再び挑戦することについて正直迷いを感じたこともあります。あの時病室で痛がっていた妻の姿が忘れられず、もうあんな思いはさせたくないとも思ったからです。

それでも妻はもう一度チャレンジしたいという気持ちを持っていました。もちろん僕も同じ気持ちは持っていました。だから今度はやるからには正面から全てを受け止めて、僕も心から子供の誕生を待っているんだという気持ちをしっかり表そうと考えました。

不安や心配はずっと消えることはありませんでしたが、そこから逃げ、目を背けないようにしようと、強く思いました。

そして今、ようやくその命と対面する時がやってきます。夜中の手術室前で、ずっとそんなあの時のことを思い出していました。

今回は失う手術じゃない。あの時とは真逆だと。もちろん無事生まれてくれるだろうかという不安もずーっと感じながら。

次回に続きます。

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