2019年も超マイペースですが… よろしくお願いします!

世界はいつの間にかアンパンマンであふれていた

僕とアンパンマン

40年近く前。子供だった僕にとってアンパンマンは絵本の中のものだった。

月に一回、通っていた保育園から配られるフレーベル館の絵本。その中にアンパンマンはいた。

当時のアンパンマンは今より子供達への食物配給に主眼を置いていたように記憶している。バイキンマンをやっつけるシーンは覚えていない。

彼はお腹を空かせた子どもを見つけると自分の顔をひきちぎって「お食べ」と言う。

マッドネスとテンダネス。

冷たいバニラアイスと熱い緑茶の組み合わせのように、同時に襲ってくる両極端はいつだって人を魅了する。僕もその顔を食べてみたくてしょうがなかった。

もちろん彼のバックに存在するのは、よく見るとアンパンマンと同じ顔をしている「ジャムおじさん」という初老男性。この慈善活動の首謀者は彼であり、本来脚光を浴びるべきはそっちの方だろう。

でも保育園児だ。目に見えるものだけが世界のすべて。僕にとって大事だったのはジャムではなくあんこだった。この年齢でパン工場の組織図を理解し、暗躍している影の権力者に思いを馳せることが出来ていれば、僕はもっと大物になっていただろう。

そんな風に惹かれていたアンパンマン。でも年を重ねるごとに彼との距離は遠くなっていく。

いい大人がいつまでもアンパンマンに執着するわけにはいかない。当たり前だ。いつだって世間は年相応の振る舞いを人に要求してくるし、その圧力には誰もあらがえない。

その代わり僕は今でもアンパンが大好きだ。パン屋に行くと必ず買ってしまう。きっと、いつでも遠慮知らずでのし掛かかってくる世間に対する無意識の反抗。消せない憧れの発露。

アンパンをトレーに乗せたい衝動に僕はあらがえない。ええ、ジャムパンは大丈夫です。

息子とアンパンマン

そんな僕にも40歳になって初めて子供ができた。とんでもなくかわいい息子だ。アンパンマンみたいなほっぺたをしている。

こうなるとアンパンマングッズの一つでも与えたくなるところだが、僕たち夫婦は当初それをしなかった。

親の意向で特定のキャラクターに固執するようになったとしたら何だかかわいそうだと思ったし、まあ本音を言ってしまえばキャラものはなんでも高価だ。せっかく与えても喜ぶかどうか分からない。

ところが息子が1歳になり、保育園に通い始めてしばらくたったある朝…

「あんまんまん!!」

急な叫び声がした。

声の主は息子。耳をつんざく大きな声に似つかわしくない小さな小さな人差し指が示す先、そこにはアンパンマンのレインコートがかかっていた。

保育園の玄関。今日は朝から強い雨が降っていた。他の園児が着てきたのだろう。

本来アンパンマンは雨に濡れると衰弱するはず。しかしレインコートのアンパンマンは雫を浴びたまま、さわやかに微笑み僕たちを見ていた。防水技術の発達は日進月歩だ。

「あんまんまん!あんまんまん!!」

しばらくたっても息子の興奮はおさまらない。

それにしても、いつの間に息子はアンパンマンを認知したのだろう。教えた覚えがない。というかむしろ避けて来たはずだ。しかもこの興奮ぶりは「単に知っている」以上のものだ。

保育園とは恐ろしいところだとつくづく思う。

もらってくるのは病原菌だけではない。アンパンマン菌まで持って帰ってきたのか。酵母菌の一種なのだろう。

親の目の届かないところで様々なものに触れている時間。知らぬ間の成長はうれしいが、一方で少し嫉妬めいた感情も覚える。実に勝手なものだ。

寡黙なアンパンマン

さて、この一件以来「息子が喜ぶのなら」とアンパンマングッズを少しづつ与えるようになった。

パジャマやゴムボール、運動会では白無地のシャツにアンパンマンのワッペンをあしらって着せたりもした。

結局キャラものへの遠慮はあっという間に崩壊。息子の笑顔の前ではあらゆるものが無力化される。

アンパンマンなら何でも喜ぶようだったので、アニメも録画して息子に見せることにした。

僕が子供のころは絵本のキャラクターだったが、やはり今はアニメが彼の主戦場だと思ったからだ。

僕も一緒に視聴。でも何か違和感がある…

624分の33

この数字がなんだかお分かりだろうか。これはある日放送された「それいけ!アンパンマン」の一話624秒中にアンパンマンがセリフを発した時間だ。ストップウォッチで計測した。

ほとんど喋っていない。

こんなに無口な主人公を僕は高倉健以外に知らない。

いや高倉健は喋らずともその存在感で語っていた。

一方アンパンマンは画面にすらそれほど出てこない。多分バイキンマンの半分以下だ。録画したのは「それいけバイキンマン」というスピンオフだったのではないか。本気でそう思った。

もちろん最終的にバイキンマンをやっつけるという一番「おいしい」ところはしっかり持っていく。しかし逆に言えばそれ以外ストーリー中で大した役回りはしていない。もはや水戸黄門だ。

当然たった一話のサンプルでこれを決めつけるのは危険だ。もっと多くの放送回をくまなくチェックするべきだという人もいるだろう。

だが、そんな人たちに言っておきたいことがある。

僕はそこまで暇ではない。

あふれるアンパンマン

その後色々考えて気がついたことがある。

アンパンマンは異常なほど街のそこかしこにいるのだ。

おもちゃ売り場はもちろん、ゲームコーナー、スーパーの商品棚、小児科や薬局の待合、街中の自動販売機、旅先の店、新聞の隅、明け方の町桜木町。いつでも探してみればどこかに彼の姿はある。

もちろんディズニーやサンリオなど他のキャラクターだって巷には溢れている。でも、アンパンマンは別格だ。そのボリュームが圧倒的なのだ。

例えばおもちゃ売り場を見ても、陳列棚の一角をほとんど占めている。オセロならあまりの圧勝に相手の機嫌が悪くなるレベル。アタック25ならぶっちぎりの優勝で海外旅行に挑戦だ。

もうお分かりだろう。アンパンマンが自らの名を冠したアニメであまり目立たない理由が。

そう、アンパンマンの主戦場はアニメではない。リアルな世界なのだ。街のあちこちでキャラクター商品のアンパンマンが子供達とのインターフェイスになっている。忙しいのだ。そっちが。

ちなみにアンパンマン関連商品は年間1500億円を超える売上があるらしい。

ちょっと計算してみよう。

スーパーマーケットサミットのインストアベーカリーであるダンブラウンのあんぱんは一個120円(税抜)。

これで換算するとなんと  12億5000万あんぱんとなる。うっとりする位とんでもない量のあんぱんだ。

これだけの資金があれば恵まれない子供達に無限のあんぱんを提供できる。ジャムおじさんの資金源はここにあったか。おそるべしジャム氏。

もはやキャラクター商品そのものがアンパンマン菌を伝播させる媒体(メディア)となっている。子供たちにとってアンパンマンは、絵本のキャラクターでもアニメのキャラクターでもなく、グッズキャラクターなのかも知れない。

子供たちの人気を背景に巷にグッズが増えていく。これに触れた子供たちが更に彼への思いを強くする。そしてまたグッズが増えていく。まさに無限増殖炉だ。そしてこれは我が家の中も同様。アンパンマングッズは日に日に増えていく。

気がつけば世界はいつのまにかアンパンマンであふれていた。

継承されるアンパンマン

40年近く前。子供だった僕にとってアンパンマンは絵本の中のものだった。

月に一回、通っていた保育園から配られるフレーベル館の絵本。その中にアンパンマンはいた。

あれから長い年月が経った。

僕がアンパンマン離れしていた間、彼は絵本を飛び出し、アニメを通り抜け、子供たちがいつでも手に触れられるあらゆる場所を菌床にして増殖していた。

しかしメディアは変われどあの時の僕と同じように、息子も彼に惹かれている。

幼いころ僕が抱いたあの気持ちを、同じように息子も持っていると思うとなんだかうれしい。40歳もの年の差なんて大したことがないように思える。

そして息子もこれから大人になるにつれ、徐々に彼から離れていくのだろう。

それでも僕と同じように、心の奥底に眠ったままの気持ちを無意識に抱えながら、また次の世代へこれを繋げていくのかな。

朝食をとりながらふとそんな事を考える。

傍らに目をやると、そこには真剣な表情で大好きなジャムパンをほおばる息子がいた。

僕なんかよりずっと大物になりそうだ。

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