年の差なんてぶっ飛ばせ!父と子の勝負はすでに始まっている

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こんにちは。ちゃはちです。

ブログ名から分かる通り、僕と息子の年の差はジャスト40歳です。

最近ではこれくらいの年の差は特別珍しいものではないと思いますが、それでも平均よりは差がある訳で。

別にもっと早く子供を作っておけば良かったとかそんな後悔は微塵も感じてないですけども、色々と思うところはある訳で。。。

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父と息子のぶつかり合い

皆さんは父親と取っ組み合いのケンカをしたことがあるだろうか?

僕の記憶が確かならば、小学校3、4年の頃、頻繁にそんなことがあった。

時刻は決まって午後8時。しかも土曜日だ。

当時の小学生が大好きだったもの。

それはザ・ドリフターズ。そして土曜8時はドリフタイムだ。

なぜか体操が得意な仲本工事、後に筋肉少女帯により伝説へと昇華された高木ブー、加トちゃんグッズで巨額の富を稼ぎ年の差婚を果たした加藤茶、背後が全く見えていない志村けん、そしてそんな彼らのまとめ役、頭がパーのいかりや長介。

そんな5人による抱腹絶倒のスペクタクル活劇が子供たちに与える影響は甚大で、親が選ぶ「見せたくない番組」の不動の王者でもあった。

今になって分かったことだが、中でもいかりやは凄かった。

何かにつけてメンバーから疎ましがられる役どころだったが、ひとたび彼が「集合」をかければメンバーは条件反射のようにステージに現れる。

そして嫌な顔一つせず、宴の始まりを告げる挨拶がわりのダンスを披露するのだ。

まさにステージはいかりやの手のひらそのものだった。ドリフの実体とはいかりやだったと言っても過言ではないだろう。

集合したのは何もドリフターズのメンバーだけではない。

日本全国の子供達が、いかりやの号令通り、いや、その号令より早く、遅くとも5分前にはテレビの前に集まっていたのだ。

ちなみに僕たちアラフォー世代が5分前行動に異常に固執するのも、十中八九この幼少期の経験が影響している。

まさにいかりやは当時の子供達を司る治者であった。

その手を「スッ」と上げるだけでオフサイドラインを自在にコントロールする武蔵FCの三杉淳のような存在である、と言えば腹に落ぬ者はいないだろう。

いかりやは「おいっすー」という掛け声で子供達を自在に動かしたのだ。

とにかく僕たちにとってドリフこそが全てであり、そのために1週間退屈な勉学に励んでいたといってもいい。

そんなドリフの代名詞である「全員集合」が終わり、後継番組として「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が始まったのが確かそのころ。

「全員集合」が終わったのは悲しかったけれど、ドリフのツートップである加トちゃんとケンちゃんの番組だ。

当然僕らにとって見逃してはならない番組であり、やはりこれにすべてをかけていた。

しかし、そんないたいけな小学生の想いに立ちふさがる大きな壁。彼もまた毎週土曜日、夜8時になると決まってやって来る。馬に乗って。。。

そう「暴れん坊将軍」だ。

後に「マツケンサンバ」の金色で世間の目と脳みそを強烈にくらませた松平健が主演の時代劇。

当時の中高年にとってもまた見逃せない番組であり、きっとそのために1週間仕事を頑張って来たのだろう。お察しします。

当時は一家に2台テレビがあろうものならその時点で富豪認定されるような時代であった。当然平民の我が家のテレビは一台。

加トケンへの溢れる思いとマツケンへのたぎる情熱。両者がぶつかるのはもはや必然。やがて鳴るゴング。まさに骨肉の争いの始まりだ。

まずは交互にリモコンを奪い合い6chと10chを行ったり来たり。軽いジャブの応酬と言ったところ。

しばらくそんな状態が続くと、互いに「絶対に譲らぬ」という想いが徐々にエスカレートしていく。

こうなるともはや加トケンかマツケンかなどという問題ではなくなり、互いの意地と意地のぶつかり合いになる。

相手を屈服させ、自らの手にリモコンを収めること、ただそれだけのために僕は父に飛び掛かる。手段が目的化するとはまさにこのことだ。

立ち上がった父は「やるのかっ!」と中腰の態勢で威嚇する。その眼光の鋭さはまるで立ち合いの千代の富士のようだった。

僕は一瞬たじろぐが、震える奥歯に渾身の力を込めて父の懐へ飛び込んでいくのだった。

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「か、勝てない。。。」

身長はそれほど高くないものの、当時の父は日々鉄の塊を相手に肉体労働をしているいわゆるガテン系。

日焼けした肌は冬でも白くなることはなく、出稼ぎにきたバングラディシュ人に「Oh!バングラ‼」と驚嘆されるほどだ。あ、要するに見た目も強そうということです。

倒されては飛び込み、倒されては飛び込み、何度もアタックを繰り返すもやはり父の壁は大きかった。

かなわないってことは多分わかっていた。それでも「勝ちたい、超えたい」って気持ちがどこからか湧いていたのだ。

そんな風に思った相手は父だけだ。

ちなみにチャンネル争いに勝利した父は横になりながら暴れん坊将軍を見始めるのだが、たいてい開始数分でいびきをかいて寝てしまう。

だから結局ごきげんテレビを見られなかったことは一度もなかったと思う。

それから誤解のないように言っておくが、父は粗暴なのではない。基本的にとても優しくて、子供想いだった。

暴れん坊将軍の時だけ暴れん坊だったのだ。

息子に立ちはだかる壁でありたい

はい。と、まぁ、わずかばかりの誇張と、ゲンナリするほどの蛇足で語ってみましたけど、こんな感じで僕にとって父親って「優しさ」だけでなく「強さ」も兼ね備えた存在でした。

大人になるまで、一度だって「勝てる」と思ったことはなかったと思います。

それでもたまに立ち向かっていったのは、「最悪鼻血ぐらいで済むだろう」とか「生死に関わるようなことはされないだろう」という信頼があったからで、その信頼を担保にワンチャン狙って挑んで行ったのだと思います。

ナミヘイ然とした古典的父親像とか、マッチョイズムとかに感化されてる訳では無いけれど、そんな自分の経験からかやっぱり僕は息子にとって強い存在でありたいなと思ってしまいます。

当たったら簡単に倒れてしまうドリフのコントのような壁ではなく、強靭で、それでいて当たりがいがあって、何度でも挑んでいきたくなるような、息子にとってそんな壁でありたいのです。

年の差問題

そうなると一つ懸念が出てきます。

僕が父親の強さに跳ね返されていたのは9歳から10歳の頃。

今の息子がそれくらいの歳になれば、僕はどうあがいてもほぼ50歳です。超光速で宇宙を旅でもしない限り。

正直50歳の自分を今からリアルには想像できないけれど、平均的なイメージからすると体力は低下し、それほどアクティブに動けないだろうし、見た目も今より老化していくのだろうと思います。

果たして飛び込んでくる息子を軽々と跳ね返すことができるだろうか?「親父にはかなわない」と息子に知らしめることができるだろうか?

そう考えると一抹の不安を覚えたりもします。

残酷な時の流れ

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これまでは実年齢よりも若く見られることが多かったです。コレ自慢。

体育会系でガタイも良い方なので、体力的にも同年代の平均値よりちょっと上くらいの自信がありました。

でもね、最近だんだんとその自信が崩れ始めてきたんですよ。

以下最近の老化現象をピックアップします。

 1.日焼け後のシミが取れない

多分若く見られる大きなポイントの一つとして「肌の綺麗さ」ってものがあると思います。

僕はこれまでその肌の美しさから、比較的若めに見えていたのだと思います。いや、ほんとだって。背中なんかツルツルなのよ。

ところがここ最近目の下にシミの様なものができて取れなくなってしまいました。

原因は明らかに「日焼け」です。

30過ぎたあたりから太陽に晒される様な時には日焼け止めを塗るようにしていましたが、それでもシミになってしまいました。これも年齢的なものなのかなと思います。

いっそのこと日焼けサロンに行って、もっと真っ黒に焼いて目立たなくしようかとも思いましたが、僕の中で色黒の短髪おじさんはAV男優のイメージなのでやめました。

2.白髪が目立ち始めた

若白髪なんてのはたいていの人にあると思います。僕もだいぶ前から一本二本ありました。

でも最近はパッと見で「あっ!」と気がつくようになって来て、少しショックを受けています。

こうなると「白髪染め」という選択肢を検討すべきなのかもしれませんが、なかなか踏ん切りがつきません。

一度手を出したらきっと最後まで使い続けなければならないでしょう。

死ぬまで世間を欺くことについて良心の呵責に耐えられるのか。。。

だとしたらむしろ紫色に染めてしまえば、白髪か黒髪かなんて超越して「そういう人」ってことになって丸く収まるのではないか。

でも「ムラサキ髪のおじさん」は志茂田景樹くらいしか見たことがないし、やっぱりそんな勇気はありません。

3.脂ものがやっぱりキツい

ご多聞に漏れず、ドンドンきつくなって来ましたね。

昔は「余分な脂を落とす」などという行為を見かけたら首根っこ掴んで正座させて、とつとつと「余分な脂など、この世には無い!」と説教して回る活動をしてましたけど。

ごめんなさい。僕が間違ってました。落とした方が良い脂もありますね。うん。

でもこれだけはわかって欲しい。脂が悪いんじゃない。脂が余分なのではなく、その脂を受け止められない僕たちが悪いんだと…。

本当はまだ好きなんです。脂ものが。

でも身体が受け付けないの。

辛い…。

4.太った

正直油断してました。

先日風呂上りに足拭きマットの隣に体重計が置かれてました。妻の仕業です。

僕としてはいつもベルト穴の位置でだいたいの体重を把握できている自信がありまして、最近はむしろ穴に余裕が出ているような気がしてました。

子供が出来てから外食も減ったし、いい感じでコントロールしていると思っていました。

しかし、いざ量ってみると。。。

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おかしいな、そんなはずはない。そんなことは認められない。認めてはならない。きっとこれは何かのマジックだ。数字のマジックだ。1の位と10の位を掛け合わせて小数点以下の数字を控除した数字が正しい数字かもしれない。いや、しかしそれでは妻の体重とほぼ同じになってしまう。いや世の中数字が全てではない。これはウソだ。夢だ。マボロシだ。

などとしばらく現実を認められませんでしたが、そもそも妻が体重計を準備したということは「太ったんじゃない?」という無言のメッセージ。

客観的に見ても太ったように見えたということは、もう認めざるを得ません。

年齢には直接関係無いかもしれませんが、年を重ねると代謝が落ちて太りやすくなりますから、今まで以上に気を使わないといけませんね。

で、後でベルトを見たら伸びてた。ベルトが。知らぬ間に。だから穴に余裕があったのか。ふざけんなよ。勝手に伸びるな。

年を取るほど若さには個人差がでる

若さこそ全てとは思いませんが、個人的には息子のこともあるので出来るだけ加齢には抗って行きたいと思ってます。

で、この見た目も含めた肉体的年齢と実年齢のギャップって、年を重ねれば重ねるほど個人差が拡大していくものだと思います。

0歳児を5歳時に見間違えることはまず無いですが、40歳と45歳だと簡単には見分けられません。

肉体的な年のとりにくさって生まれ持ったものもあるとは思いますが、やっぱり若く見える人ってそれなりに意識して努力してるもんです。

別に化粧品やサプリを使ったり、エステに行ったりするつもりはさらさらないですが、危機感を持ってる人とそうでない人はそれだけでも違うんじゃないかと思います。

危機感が大事。ジム通いをしたことがある人はわかるかも知れませんが、ジムには若い人より圧倒的に中高年が多いです。ヤバイヨヤバイヨの精神があってこそ続くんですよね。

さて、危機感を持った僕は食後に必ず食べている甘味の量を減らそう。ほんのちょっとだけ。。。

そして毎日筋トレをしよう、ほんのちょっとだけ。。。

ちょっとだけ、ちょっとだけ。。。

些細なことの積み重ねが時を経て大きな差となる。これが年を重ねれば重ねるほど個人差が拡大していくカラクリです。もう勝負は始まっている。

10年後、息子とチャンネル争いで取っ組み合った時に挑み甲斐のある強い壁でいるために。

息子からリモコンを奪い取り、自分の見たい番組を横になって見るために。

そして5分位たったら寝たふりをしよう。

僕の父がそうしていたように。。。

ま、もうそんな時代じゃないか。

では、また。

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