L⇔Rの思い出と年齢と命の話

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こんにちは、ちゃはちです。

個人的にも悲しいニュースが入って来ましたので、ちょっとだけ思うことを…

L⇔Rの思い出

僕がこれまでの人生で1番音楽を聴いていたのはおそらく高校生から大学生にかけての時期です。

洋楽はあまり聞かず邦楽ばかり聴いていましたが、そのなかでもよく聴いていたのがL⇔Rでした。

きっかけはよく覚えていないのですが気がついたらすっかりハマっていまして、アルバムは全てレンタル(買えよ!)してダビング。学校や予備校の行き帰りにウォークマン(まだテープでしたよ)で毎日のように聴いていました。

洋楽をあまり聴かなかったのは「英語の歌詞になぜか抵抗があった」と言うのが大きな理由なんですが、L⇔Rは日本語の歌詞でありながら洋楽っぽさと言うか、むしろモロに洋楽の影響を受けているというか、当時の歌謡曲にはあまりなかったメロディラインやアレンジのカッコよさがあって、そこに惹かれていたのかなと思います。

まぁ理由なんて何でもいいんですよ。良いと感じたものが良いんです。それに今思えば「洋楽」とか「邦楽」とかいう区別はジャンルでも何でもないし意味がないですね。

で、あるアーティストにハマると次に思うのは「俺もその歌を歌いたい」です。当時はひとりカラオケはまだ一般的ではなかったので、そうなると目指すところはギターでの弾き語りです。お決まりのコース。

何とかバレーコードをクリアしてヘタクソなギターで歌っていました。L⇔Rは今でもカラオケで歌います。歌っててもすごく気持ちいい曲が多いんですよ。まわりは気持ち良くないかも知れませんが…。

L⇔Rは世間的にドラマの主題歌でもあった「KNOCKIN’ON YOUR DOOR」が一番知られていると思います。ヘタしたら「一発屋」みたいなことを言う人もいます。そして僕はこの「一発屋」という言葉が嫌いです。

この言葉からは「自分の知っていることが世界のすべて」というおごりを感じます。本当は「自分の知っていることは世界のほんの一部」なのに。

自分が一曲しか知らない、自分が見るテレビに出てこない、自分の身の回りで話題にならない、それだけで「消えた」と確信をもって言えるような人が僕は苦手です。

自分が知らないだけで多くの人に支持されている曲がいっぱいあっても、自分が見てないだけでメディアに出続けていたとしても、自分の知らないところで多くの人が支持し続けていたとしても、自分が見えていないものは「ない」と堂々と言える不遜さが怖いです。

それに「成功」の定義は人それぞれ。他人が決めるものではないのに「複数のヒット曲を世に出したら成功」そうでなければ「失敗」と疑いなく自分の価値観で決めつけられる態度にも怖さを感じます。本人たちが何を望んでいるかなんてわからないのに…。

完全に話が脱線してしまいました。まぁ思うのは自由ですよね。でも言葉として外に発した瞬間に思いあがりと悪意しか感じません。

はい、すみません…L⇔Rの話でしたね。元に戻します。

というわけで(?)L⇔Rは僕にとって多感な時期に大きな影響を受けた存在だったということです。

そしてそのL⇔Rの黒沢健一さんが12月5日に脳腫瘍のため48歳の若さで亡くなったというとても寂しいニュースが流れてきました。

「死」が少しずつ身近なものになる40代

自分が好きだった人やお世話になった人、影響を受けた人達も当たり前ですが皆同じように年をとります。

今回黒沢さんが48歳という年齢でこの世に別れを告げるというのは明らかに「若すぎる」と感じますが、これから先だんだんとこういった「自分にとって特別な人たちが天国へ旅立って行く」ということが年齢的にも増えてくるのだろうなと感じさせられました。

平成27年の日本人男性の平均寿命は80.79歳だそうです。つまり40歳という年齢はちょうど折り返し地点。これから先は「生」より「死」の方が明らかに近いわけです。

自分が憧れた人や影響を受けた人たちの多くは年上なので、一般的に自分よりさらに「死」に近いところにいることになります。思い入れのある人たちがこの世からいなくなっていくことがだんだんと当たり前のことになってくるのかなぁと。もちろん自分自身の命についても例外ではありませんが。

一方で生まれ来る命

消えゆく命もあれば生まれ来る命もあります。今自分はまさに生まれようとしている命とも向き合っているさなかにあります。すごく不思議な感覚です。

今回、はからずも生と死の間に立って両方を見つめてみる機会となりましたが、こうして考えると「生」と「死」は対立するものではなく、一続きの端と端でしかないのだろうなとあらためて感じます。「生」の数と「死」の数はどこまでいってもイコールです。

結局「生」と「死」の間に何ができたのか。自分の人生に意味を持たせようとするのであればやっぱりそれしかありません。

折り返し地点から自分のこれまでの人生を振り返っても、黒沢さんのように多くの人の心を動かすようなことはもちろん出来てませんし、きっとそんなすごいことはこれからも出来ないでしょう。

でもせめて自分の身近にいる人達には多少の意味のある存在でいれるように、頑張らなきゃなと、小学生並みの感想を思った今日でした。

こういう「頑張らなきゃな」という思いは日常の中でいつの間にか薄れていくものでしょうから、今回の記事は自分にとっての備忘録です。

それから最後に黒沢さん。こんなとこに書いてもしょうがないのはわかっていますが、たくさんの素晴らしい音楽をありがとうございました。そしてこれからもきっと聴いて、歌っていくと思いますのであらためてよろしくお願いします。

以上訳のわからない感じになりましたが、今回はこの辺で。ではまた。

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